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    東日本大震災

    3月11日の大震災から40日余り過ぎました
    横の会MLより震災後の投稿から
    被災地の状況を伝えたメッセージや、被災地へのエール、ボランティア報告などを
    ピックアップ致しました
    個人の安否に関するやりとりは除いてあります

    何年か後に
    思い出になった頃に
    思い出したくもないかもしれないけれど
    ふと振り返りたくなったときに読んでみてください

    2011年4月24日現在までの投稿より抜粋


    → 斎藤さんから届いた被災地の写真はこちら


    2011年3月14日(月) 午後1時36分  仙台からの地震ドキュメント

    sokkon08さんより

    11日2時45分過ぎ、地震。いつもの軽い地震と思ったが、その大きさ、長さが尋常ではなく、これはでかいと思った。しかしまだこんな大地震とは思いもよらず仕事に出かけ、セブンイレブンで買い物。(セブンイレブンだけは2日目まで開いていた)その時も万一のためにと思って買ったのはパン2個、ミルク1本だけ。ばか!電池も買ってなかった。バカバカ!

    カーラジオで次第に、事の重大さに気づいて、慌てて帰る。
    家にいた家族は買い出しに行って、大型ショッピングセンターは長蛇の列でダメで、小さな商店が開いてるという情報を得て、そこで一定の食糧を確保したという。

    反射式の石油ストーブが1台だけだがあって助かった。暖房と煮炊きに重宝している。電気がないので、温風ヒーターが使えない。ガスが当日はついたが、深夜、係りが止めに来た。水だけは、錦ヶ丘は、タンクがあるからか、出る。単2の電池がないのでラジオが聞けない。仕方なく深夜、車のなかで携帯に充電しながら聞いた。夕食はカップ麺。

    12日、第2日目。河北新報がたった8ページの特別版(新潟で印刷したらしい)。津波被害の方がすごくて、海岸端はどこも壊滅状態らしいとわかる。

    朝食は前日買ってきていた御飯と買い置きしていた塩鮭、梅干し、味噌汁。車で様子を見に行ったが、信号が付かなくて危険で早々に戻った。昼は買い置きしていたスパゲティー、夜は、カップ麺。

    13日土曜日、第3日目。朝は買い置きしていた小麦粉でパンを焼く。10時近くになって買い出しに生協、ジョイ、カワチを訪れる。今日だけ販売するとあって、長蛇の列。ジョイはすでに遅く、並んでも日没までには買えないと店の人に言われ断念。カワチは一人3点のみ。紙オムツ、電池、ラーメンを。生協では野菜、魚の缶詰、ジュース、トーフ、ミルクなど買えた。レジが使えないので電卓で清算。みんな整然と余裕あって行動。

    昼はラーメン。食べ終わったら再び買い出しに。電池が4本で500円。さすがカワチ、大阪商法。夜はオジヤ。
    しかし携帯が当日以降、圏外になって通じなくなった。明日早朝、電波の届く所に移動してメールを確認することに。

    14日、第4日目。早朝、突然、携帯が復旧、メールが届いた。おにぎりを作って8時前には家を出てガソリンスタンドに向かう。愛子の信号が復旧していた。もしかしたら電気が来ていたのかも。ブレーカーを落としていたからわからなかった。

    ガソリンスタンドは、長蛇の列。ぐるりと一画を一周、100台以上は並んでいたか。1台20リットルまで。しかし3時間待って、在庫切れ。暴動になりそうだったのか、警察も出て帰宅させられた。超ショック!山形まで行って給油した人もいたが、もう行けない。

    今日までの実況でした。

    昼は、カレーのレトルト。


    2011年3月15日(火) 午後2時43分  仙台、斉藤さんから伝言の形での投稿

    斉藤さんより

    震災発生以来電話が使えなくなり、PCも停電で使用不能となり皆様に色々とご心配をおかけ致しました。
    仙台、若林区、この二つのキーワードで十二分なインパクトがあったのではないかと思います。
    私の回りでも身近な人が災害に遭われ、避難所で過ごされております。
    先ほど避難所にマスク200枚、手指消毒用にオスバンを差し入れてきましたがお世話をする方避難されている方双方に疲労の色が 濃く漂っておられたのに何とも痛ましい思いがしました。
    時間と共に被害状況が明らかになり、正視できぬような現実を目にされている方も身近におります。
    皆様におかれましても「天災」、原発における「人災」?に直面されておられると思いますが付和雷同されることなく落ち着いてこの難局を乗り越えられます事と信じております。
    仙台市若林区より皆様のご厚情に対して簡単でありますが御礼申し上げます。


    2011年3月18日(金) 午後5時00分  被災地の皆様、心より見舞い申し上げます

    大内 マコトさんより

    被害状況の報告の度に、その大きさに心が痛みます。

    一日も早い復興を心から願うばかりです。

    春と言うには余りに寒い日々が続きますが、風邪などから体調を崩されることなど無く元気でお過ごしいただきますように心からお祈りいたしております。

    小生の利用する東武日光線は運行時間帯が毎日変わり、今日は午前は始発から7時まで50%の運行、午後は21時30分から終電まで50%の運行のみです。

    4時起きで始発に乗り込み約2時間かかって会社に着きますが、毎日仕事が出来るありがたさを痛感いたしております。

    被災地の同期の皆さん、いつの日か元気で再会できますことを念じております。


    2011年3月20日(日) 午後9時53分

    h-usamiさんより

    宇佐美です。10日ぶりに自宅でゆっくり居ます。
    会社が医薬品卸なので、災害時は医薬品の安定供給の使命が有り連日連夜大変です!
    福島県本宮市の南東北へ供給する物流センターが被害を受け機能しなくなり、東京から供給しております。
    13日(日)午前、中山ヒデさんの携帯が通じ安否確認できました。
    その時は停電中で、情報が入らず又コンビニも閉まっていて食料がなく困っていました。
    14日には、柴田哲也さんに国分町の自社ビルのシャッターを緊急修理頂き大変助かりました。
    <正に持つべきは友です> テツヤありがとうございました。


    2011年3月27日(日) 午前10時09分  被災地への支援物資

    ひでおさんより

    日本と長い友好関係にある東南アジアの某国より、NPOを通じて娘の勤める繊維商社に2億円もの被災地への支援物資の発注依頼があったそうです。品目などの指定のない発注であるため、商社ではどういう物資を揃えるか検討を開始したところとのこと。

    被災地の各自治体に当たり、本当に必要としている物資のみを手配・支援すべきで、無駄なものは送るなと娘にリコメンド。娘が担当している医療関係の物資も候補の一つかと。

    商社側も自治体に当たっているはずではありますが、被災者の声が聞けたら教えて下さい。娘に伝えますので。


    2011年4月4日(月) 午後2時13分  小川先生と話しました

    えり子さんより

    菅生眞人くんから、小川先生と連絡とれましたか、と私の自宅に留守電あり、今日小川先生と話しましたよ!

    『海の近くでないのでたすかりました。
    3日間はろうそくでくらし、次に水がとまり、だんだんいろいろなことがおきましたが、元気でいます。

    あのときお世話になった、横の会のみなさまは無事でしたか?心配していました。
    どうぞみなさまお元気で、とお伝えくださいね』

    元気でいたので安心しました。
    みなさんもお元気で。


    2011年4月11日(月) 午後2時29分

    杉舘さんより

      (9~10)土・日の二日間 岩手県「大槌町」の「幼稚園」の後片付けのお手伝いをしてきました。
    TVによく出てくる「大槌高校(高台にある」の登り口にある 幼稚園です。
     絵本や楽器は全部 水につかり、教室にある「泥」を全部掃除して石灰を撒いてきました。
    園庭はがれきの山の状態、教室の床や内装を直して、再開は二学期(夏休み明け)までかかるそうです。

     やることはたくさんある。
     出来ることはなんでも手伝う。・・・・・頑張ろう


    2011年4月24日(日) 午後7時14分

    えり子さんより

    斉藤さん、画像ありがとうございました。

    今日の朝5時にバスで秋田県薬剤師会個人ボランティア有志でバス代をはらい、宮城県薬剤師会から依頼のあった東松島地区の40数ヶ所の避難所を22人でてわけしてまわり、いま高速で秋田にむかってます。

    私は野蒜(のびる)など、5ヶ所をまわり、ききとり、薬、衛生、健康、食事、メンタル面などを、山口県、山形県の保健師さんたちとくんでまわりました。

    みなさん、食事はたりているが、しかれたじゅうたんがクリーニングされないままで、ぜんそく気味のかたもいました。

    情報シートを宮城県薬剤師会においてきました。
    帰りは石巻をみながら、野蒜も悲惨でしたが、石巻はやはりたいへんな画像として、目と心にやきつきました。
    薬剤師会が手が回らないところは、次は岩手にしたら、といまバスの中で反省会をしていました。

    私は写真はないが、ちょうど斉藤さんの写真投稿があったので、文章で投稿しました。

    みなさん、元気で復興を祈ります。


    2011年4月24日(日) 午後8時06分

    h-usamiさんより

    えり子先生ボランティアお疲れ様でした。
    お天気が良かったのが何よりでした。
    当社も被災地での医薬品の供給体制強化のため、九州・四国地区含め全国グループ各社20人以上づつ現地応援頂いております。
    東京の物流センターは24時間フル稼働にて対応しております。
    とにかく頑張りましょう!




    → 斎藤さんから届いた被災地の写真はこちら


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