伊豆の踊子号

画像提供:   斉藤 隆夫 氏     2020.03

仙台の斉藤さんからの投稿です。
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 サフィール、伊豆の“踊子号”

 3月14日より東京、伊豆急下田間に“踊り子号”の新型車両が投入されるとの記事を1月頃読み、伊豆半島に暖かくなったら行ってみようと予定を立てました。

 ご存じの方もおられると思いますがJR東日本では1ヶ月+1週間前にネットで事前予約が出来ますので午前5時に起きて午前5時半の予約開始に合わせて予約を行ったところ1週間後に帰りの新型車両のチケットの手配ができましたので出かけてきました。仙台は新型肺炎が蔓延している状況ではないのですが東京駅を通過せざるを得なかったのでマスクをつけ、人混みを避けての移動になりました。

 東京駅より従来の踊り子号で2時間40分ほどで伊豆急下田に到着しましたが、あいにくの曇り空で海は文字どおり鉛色でした。

 翌日下田開国博物館に赴きましたが外壁がナマコ壁に被われた2棟の建物より成り、中にはペリー、ハリス、ヒュースケンに関する遺品、資料が展示されておりましたが唐人お吉とされる写真が実は5枚全く別人のものが残されており、一番美人に写っているのがお吉本人であろうとされていました。この方が悲劇の物語として感情移入されやすいのではと感じました。

 歩いて5分ほどで日米和親条約が結ばれました了仙寺があります。

 江戸時代の挿絵によれば大きな寺の印象を受けますが実際は大変こじんまりとしたお寺でした。すぐ側にMoBS博物館(museum of black ship)があります。

 中に大きなペリーの顔が壁面に描かれておりますがこの顔が西郷隆盛に似ていることから西郷ペリーと呼ばれています。ここよりペリーが下田に上陸した後に行進したと言われる秋田の川反を連想させるペリー通りを抜けるとすぐにペリーの上陸地点に着きます。ペリーの胸像が下田港を背にして設置されています。ペリーに関連する史跡は意外と狭い範囲に全てがまとまっています。

 昼時になり地元の方に教えて頂いた磯料理店“辻”で食事しましたが、何気なく壁に掛けられた色紙に目をやると、宮田輝、長嶋茂雄、等懐かしい名前の中に三島由紀夫の色紙もありました。亡くなる3ヶ月前の昭和45年8月と書かれており、当時の事件が思い出されました。

 下田港内の海は穏やかであり、天然の良港としてペリーが満足した理由が理解できます。観光船も蒸気船サスケハナ号を模しています。

 伊豆急下田の駅の側に寝姿山ロープウェイの駅があります。

 ここより3分半くらいで寝姿山の上に着き、展望台からは遠くに伊豆諸島を望むことが出来ます。また展望台の側には小さな池がありヒレが長い鯉が泳いでいました。ヒレナガニシキゴイ(ニシキゴイとインドネシア原産のヒレナガゴイの交雑種です)。

 伊豆急下田駅前の土産物店を除くと金目鯛やアジの干物などが売られておりペリー艦隊の旗艦サスケハナ号の模型が屋外展示されていました。

 駅構内は鉄道ファンが多くおり、思い思いに新型車両、サフィール号と記念撮影をしておりました。新しい車両は横3列でゆったりと座ることが出来ました。

 進行方向右側は海岸線を走るので伊豆諸島を見ることが出来ます。都内に入り鉄橋を渡るときには堤防の上に多くの人がカメラを構えて手を振りながら撮影しておりました。また品川駅より東京駅まで子供さんをつれた方が乗り込んできましたがなるほどこの様な楽しみ方があったのかと感心させられました。

 新型肺炎が未だ収束の兆しを見せていない中遠出をすることにためらいを感じましたが多分感染性しないで帰ってくることが出来たのではないかと思います。皆様もお気を付け下さい。
 斉藤 記



サフィール号















了仙寺











ペリーの胸像






サスケハナ号











三島由紀夫














尾長鯉























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