塩竈神社花祭

画像提供:   斉藤 隆夫 氏     2016.04

仙台の斉藤さんからの投稿です。
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 先日知人と電話で話していたら今度の日曜日に塩竈神社で花祭りを行い自分も氏子であるので裃を着て御輿の先導役を務める予定とのことで塩釜市まで祭りの写真を撮影しに行きました。
なんと言っても重さ1トンもある御輿を200段以上ある石段を16人で抱えておろし、町を練り歩き、さらに午後8時頃に再び御輿を担いで石段を登って元の位置に戻すと言ったかなりハードな行事です。

 正式にはこの石段が表参道であるためにこの様な形をとっているのではないかと思いますが平地に無事付くまで担ぎ手は顔を真っ赤にして歯を食いしばっているのが分かりますし、時々左右によろめいて警備の人が下がって下さいと緊張した面持ちで指示を飛ばしておりました。
担ぎ手は若い男性ばかりではなく壮年の男性も混じっておりました。

 平地に降りてしまえば普通の御輿を担いだお祭りですが石段を下りてくる時は神主さん、巫女さん、氏子の皆様大変緊張した面持ちで御輿を見守っておりました。
身も蓋もない話ですが裏道がありまして車で本殿近くまで行くことが出来るのですが伝統と言うことで石段を御輿を担いで上り下りする行事は無くなることはないでしょう。


 塩竈神社HPより抜粋
http://www.shiogamajinja.jp/annualevent/origin.html#hanamatsuri

花祭

戸中期安永年間旱天が続き作物も稔らずに困り、氏子が鹽竈神社に祈願したところ気候も順調となり、作柄も良くなったので 感謝の意味を込めて安永7年(1778)3月10日に神輿を出し御神幸したのが始まりで、明治5年の改暦後祭日を4月25日に改められ、丁度桜の花が満開 の時期である事から「花祭」と称するようになった。
昭和60年、市民の総意に基づき祭日を4月第4日曜日に行われるようになる。
神輿の渡御の時間帯は帆手 祭と同じで、約1トンの神輿は16人の輿丁により滑るように市内を進む。
白丁と呼ばれる白い装束に身を包んだ輿丁は更に覆面をして一切の言葉を発すること なく(かけ声も無い)鐘と太鼓・雅楽が流れる中しずしずと進む正に神の「御渡」である。

斉藤記

花祭
















































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