少し前の秋田。「なかいち」以前の仲小路だ。

画像提供:    さとう けんじ 氏     2020.04

さとうけんじ さんの便りです。( 横の会BBSから )
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2020/04/25 (Sat) 11:39:25

この地区の再開発というか、都市計画は秋田の中心市街を大きく変えたんだと思う。
かつては、日赤病院があった。その以前には、婦人会館とか、児童会館があったと思う。

婦人会館だったか、オラの高校時代に、デビューしたての森山良子さんが小さなコンサートに来て、会議室みたいなところに折りたたみ椅子を並べて座って聞いたことをまだ覚えている。ギター1本だけで、司会者もいないミニミニコンサートでオラは一番前に座って聞いたと思う。多分、「ゼンオン」とかで、販促キャンペーン絡みでの招待券とかもらったりしたんだと思うけどな。

「仲小路」ってのは、オラの中では、原点が「金座街」、「銀座街」にあるように思う。
「森長」とか、「喫茶かかし」、「まんぷく食堂」、「マルシメ鎌田食堂」、「喫茶タンタン」、「五十番」(だったか? 餃子がうまいと思った)、パチンコの「秋田会館」、「ラッキーセンター」(だったか?)などなど。

「金座街、銀座街」は古すぎるけど、そこにあった商店が、今も仲小路にあることは懐かしく、嬉しいものだな。

「なかいち」ができる前の「仲小路」の画像だ。
2009年8月撮影のものだ。



2020/04/25 (Sat) 11:57:47

「お菓子のくらた」の仲小路にあった店舗は、赤十字病院が移転してから、客足が遠のいたんだべな、と思う。

もともとは秋田市の店ではなく、湯沢だか横手の店で、はなばなしく秋田市に進出してきた印象を、オラは持っている。

オラの記憶は、このあたりなば約60年前頃からあって、駅前広場のパチンコの秋田会館のあたりだって、その以前はパチンコでなく、デーンと大きめな本屋があって、確か「石川書店」だったと思うな。

この写真を撮った仲小路の真ん中あたりには、普通の木造の住宅が並んで建っていたと記憶している。
その名残りが南北に走る小路沿いにある小さな飲み屋なんかに、今もあるように思う。
上の写真にあるカフェ「みきょう」というのも有名らしかったみたいだな。

でも、そーんなに古い写真は無くて、ここの一連の記事では2009年8月の撮影のものだ。



2020/04/25 (Sat) 18:34:21

好きだった「Matsuya」の看板が見える。

「器」の店は、昔は金座街とかにあったと思う。この店は、NHKの「家族に乾杯」でたまたま新屋で釣瓶さんと遭遇した家族の関係で、取り上げられていたな。。



2020/04/30 (Thu) 00:25:56

レストラン「ニューたけや」の看板が見える。
「フォーカス」は、昔の「みどり光学社」だと思う。この写真機・DPE店は今でもあるんだけど、良く残っているな、、と感心する。
写真機店では、「カメラの美光堂」、「岩間写真機店」、「秋田カメラ」とか、みんななくなったけどな。「川原」もな、、ただ、川原は今もあると言うべきなのかな。

この頃は仲小路も人が多いなー。お盆のころだけどな。

「たけや」で思い出すわけだけど、秋田市の小学生には、「たけや製パン」は給食のパンとして馴染みがあるよなあ。明田踏切・地下道を渡った館ノ越にパン工場があったと思う。そこ辺りが街のはずれで、その先は田んぼだった。

「たけや」のパン、「マル〆鎌田」の酒饅頭・アイスクリームなどは、しったけ懐かしいアイテムだびょん。

オラが育った楢山では、今は「生グソ」で有名な店が、普通のかき氷店(駄菓子屋)として当時からあった。楢山の表町だな。

あの表町の通りは周辺・界隈も含めると、小学校、中学校、ボーリング場、履物屋、薬局、餅屋、タクシー会社、電気屋・電気工事会社、染物屋、郵便局、文房具屋、金物屋、食料品店、稲荷神社等々、、と何でもそろってたなー。

ただ、オラが幼稚園に入るとき、親(いや、祖母だったかも)は、小判形のアルマイトの弁当箱を買ってくれたけど、それは「南通り商店街」の店でだった。「食器の店は、南通り」っていう印象はあるなー。。あの南通り界隈ではあと「今川焼」だな。今は多分「ミルク焼き」というのらしども。

木内、協働社、広小路、名店街、本金あたりもたまには行ったもんだな。木内の協働社側の出入口とかの雰囲気、今でも思い出す。んだ、んだ、甘栗屋もあった。

日曜日とか、飛行機が飛んできて「売り出しの宣伝ビラ」を撒いて行ったり、アドバルーンをいっぱい上げて、木内、本金とかが、、「来てけれー」、「来てけれー」、って、なー。

それでも、当時は、お金なんかあんまりないから、まあ、何かのときでなければ、商店街とか、木内とかには行かなかった。特に小学生、中学生の頃はな。

お金のかからない遊びとして、思い出あるのは、太平川の土手に出て、百石橋を渡って「金照寺山」あたりさよく遊びに行ったもんだな。
「大平(おおひら)」だったかな、、草の生えた原っぱに一人寝転がって、青空に浮かぶ白い雲を眺めてなぁ、「おーい、雲よー、どこさ行くんだー?」ってさ、、それで、横を向くとオラに寄り添うようにして「あざみ」が凛として咲いていたことを、今でも脳裏に浮かび上がらせることができるんだよ、ホントだよー。 「あざみ」は、本当の花なだよ、、「あざみちゃん」ではないからなぁ~。
そりゃあ、遊ぶのは男子どおしがほとんどだったと思うよ。女子は女子どおしで遊んでいたな、、。

金照寺山なば、何といっても、「七つ森(盛)」なだな。
今は、周囲の樹木が高くなって眺望がきかないらしいけど、金照寺山の頂上になるところだ。そこから、当時は、鳥海山から男鹿半島、上北手、下北手、仁井田、新屋、楢山、愛宕下、牛島、、太平山、勝平山、高清水の丘、千秋公園、、と、遠くも近くもよく見えたもんだ。


いつかのNHK「こころ旅」の「金照寺山」のとおりだな。

あとは、太平川と猿田川の合流点近くの「キャンデー沼」。良く魚釣りに行ったもんだ。金照寺山と並んで、オラホの学区(築山)の子供らには、「聖地」のようなところだったな。ホントは隣の小学校区になるんだけどな。



2020/04/30 (Thu) 13:04:27

アトリオンの仲小路側の入口付近だ。

アトリオンには秋田市立「千秋美術館」が入っている。
ずっと昔は千秋公園の二の丸広場だかの隅っこにあったはずだども、あっちは、今は佐竹資料館なだな、。

千秋美術館は、ここのアトリオンに入ってから、以前よりもだいぶ行きやすくなって良いと思う、また、特に企画展もなかなかと充実していて素晴らしい、と思う。

その点、県立美術館はレオナルド藤田作品に頼りっきりのように見えてパッとしないなあ。平野政吉コレクションのごくごく一部しか展示してねのかぁ?って聞きたくなるほど、展示作品も少ないしな、と思うな。

千秋美術館は、常設展示されている岡田謙三作品も、オラなばだいぶ好きだな。何回も見ているけど、時々は展示作品も変わるようだから、時間があれば行くようにしている。「岡田謙三」記念館だものな、、大したもんだ。

オラが良く使っているレター・セットは、ここで買い求めた岡田謙三レター・セットなだよ。あはは、見かけによらず、ハイカラだべ? ここの美術館オリジナル商品ならば、なかなか大したもんだ。







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