関東横の会 第15回大会

投稿:   佐藤 眞人 氏     Sat, 23 Jan 2011


関東横の会 第十五回   平成二十三年一月二十三日(日)
クリスタルヨットクラブ

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 風もなく比較的穏やかな日になった。天王洲アイル駅を出て青い品川埠頭橋から、冬の日を浴びて白いレディクリスタルが停泊しているのが見える。
 十一時半にクリスタルヨットクラブに着くと、一番奥のダイニング・ルームに案内された。既に中泉仁幹事長ほか四五人の姿が見える。(本文では敬称は略させて戴く。)
 私の次に顔を見せた縄田屋圭吾が、「なに、もう飲んでるんだか」と呆れたような声を出す。私だけが特にせっついて飲み始めているわけではない。部屋に入るとすぐにグラスを渡されたのだ。これはウェルカムドリンクというものである。ただ、すぐに二杯目になってしまったのは、ちょっとペースが速すぎるかも知れない。
 縄田屋は一時身体を壊していたが、もうすっかり治ったのだろうか。「大丈夫だ。酒はなんぼ飲んでもいいし。」それは良かった。しかし病院には毎週行かねばならないらしいから、余り無茶をしてはいけない。「出張から帰ってきたばかり」と言う宇佐美均も元気そうだ。
 五十嵐勝とは一年のとき山岡先生のJ組で一緒だったことが分かった。本拠は仙台で東京には単身赴任中である。「仙台の方さは出席してるども。」関東の会には初めて参加したと言っている。この頃、仙台はずいぶん活気がある。
 渡部淳にはたぶん初めて会ったと思う。大学の先生は私の仕事に関係しないでもないので、取り敢えず名刺を貰う。著書は多数あって、去年出た『学びを変えるドラマの手法』(旬報社¥2100)が一番新しいようだ。
 「相変わらず頭が綺麗ね。」山瀬寛子、樋口洋子の最初の発言がこうである。昨日床屋で一ミリに刈ったばかりで、だから帽子がないと寒い。樋口は愛知県からやって来て「昨日から泊まっているのよ」と言う。山瀬は毎週のようにヴァイオリンの練習と演奏会があって忙しいが、「今日だけ、たまたまポッカリと空いたから良かった」と笑う。
 大内誠は予告していた通り自家製のナタヅケを持参して、皿を用意して貰ってカウンターに並べた。かなり強烈な匂いが漂ってくる。「電車の中でも顰蹙ものだった。」それでは取り敢えず味見をさせて戴こうか。「ダメダベ、ちゃんと箸あるんだから。」指で摘んで大内に叱られてしまった。係員の美女が笑いを堪えているようだ。「もう食べたの」と二瓶も呆れたように笑う。
 ちょっと甘い。「昔のは、もっとしょっぺがったよな」と言うのは縄田屋か。柚子を利かせた上品な味だ。塩分を控えているのは本人の健康管理のためである。「奥さんが漬けたんだか。」「なんも、俺が自分で漬けたのせ。」シャンソン歌手は体調管理のためにガッコを自作する。

 タイラがテーブルに番号札を配り、宇佐美が籤を引かせて席が決まった。幹事長の中泉仁以下、天野正章、五十嵐勝、宇佐美均、大内誠、小野平、佐藤健、佐藤眞人、武田好史、田原清彦、縄田屋圭吾、二瓶淑子、樋口洋子、福士典敬、山瀬寛子、渡部淳の十六人である。姿を見せない大和谷均に幹事長が連絡をとると、二十三日ということは知っていたのに、今日がその日だとは気がつかなかったと言うことらしい。今からでは無理だった。
 改めて数えてみると、私が在校中に知っていたのは四人だけだ。それが、こうして集まると全員が昔から親しかったように思えてくるから不思議だ。高校時代というのは独特ですね。
 定刻を三分ほど過ぎて、中泉幹事長の「目標三十人って思ってたんですが」とちょっと残念そうな挨拶で始る。今回は秋田、仙台からもできるだけ参加して欲しいと、特に宇佐美の思い入れが強かったのだ。「柴田も五代儀も来るって言ってたんだや」と五十嵐が嘆く。但しここ最近の三年間では、十一、十二、十四となっているから、それと比べれば十六人(当初予定では十七人)は集まった方だとも言える。初参加のひとに会えたのも嬉しい。幹事長のほかタイラ、宇佐美が積極的に声をかけてくれたお蔭だ。
 中泉は去年に引き続き幹事長を引き受けてくれた。「だって遅れてきたら、もう決められていたんだ。」アナタの人徳がそうさせるのである。
 武田が長い挨拶をする。「そろそろ皆さん定年を迎える頃だども、こうして顔を見てれば、まず十年は大丈夫そうだな。」今の時代に十年は短すぎる。そして乾杯。ビール、紅白のワイン、ウィスキー水割り、ウーロン茶、ジュースは飲み放題。料理は勿論フレンチだ。
 少し遅れてきた天野がまずタバコを吸うと言うので付き合うと、隣の部屋に案内された。ここで吸えるのか。知らなかったからさっきまで外に出ていた。わが社の本社では駐車場の脇の寒風吹きすさぶところで吸わなければいけないし、今通勤しているところも殺風景な小部屋で、換気扇がないからこの季節でも窓は開け放しのままだ。だから、こんなに豪華な部屋が喫煙ルームになっているのは実に嬉しい。社長が喫煙者だからだろうか。しかしタイラは「俺、タバコやめたよ」と言っている。

 暫くして「そろそろ始めねば」と大内が幹事長に催促し、それぞれの近況報告が始った。「出身中学校も言わねばダメダや。」武田の指示で全員が申告した。そうなれば土崎が元気付く。「マンモス校だったもの」と宇佐美は言うが、山王だって十六クラスもある当時最大のマンモス校だった筈だ。
 随分前に名簿作りを手伝ったとき、最大勢力は土崎中学校だと分かった。今日もやはり土崎が多い。数が多いだけでなく、港の団結力と言うものがあるようだ。「んだって、みんな小学校から一緒だもの」と二瓶に言われて気がついた。山王にしても南中にしても小学校はいくつか違っていたから、これだけの団結力はなかなか発揮されないのかもしれない。その土崎の宇佐美は「俺は秋田、仙台と東京の架け橋になります」と、新渡戸稲造のような決意を表明する。
 「私は天野クンと一緒でした。」土崎に負けてはならず、二人参加していると井川中学の樋口が強調する。「俺は高清水、聖霊のそばだ。」聖霊女子短大が近いというだけで、それが田原の自慢の種になる。「フランスでは今でもケンチャン(志村ケン)って言えば俺のことだもの。」山王は健と私とふたりだけか。
 「おとうさん、あのお店は素晴らしいよって、娘が言ってたので楽しみに来ました。」健の言葉に社長は頭を下げる。健の娘は恋人と一緒に来たのである。(勝手な想像だけれど)。お世辞でなく私も素晴らしいと思う。これに白いご飯があるともっと良いと私はバカなことを思ってしまう。こんな無いものねだりをするから、私は海外旅行に行けない。
 武田は今でもラグビーをやっていて、NZ大使杯など各種の大会にも参加しているそうだ。なるほど調べてみると、NZ大使杯の昨年度のシニア戦のメンバー表に、ちゃんと名前が載っている。この年齢でラグビーを続けているのはスゴイ。聞かなかったが、天野は今の体型ではもうサッカーはやっていないだろうね。
 福士は仲間と独立して会社を始めた。渡部はマンモス大学で大量の学生を相手にしている。公演のために全国を飛び回っていて、秋田にもしょっちゅう行くと言う。調べてみると「あかり座」という、なんだか面白そうな教育実験をやっているのだ。五十嵐は「地球と人の調和を考える」という会社で頑張っている。
 縄田屋は、定年になったらヴォランティアをして暮らしていく積りだ。羨ましい話だと二瓶と顔を見合わせる。公務員の定年は年度末らしいが、私は誕生月の四月末だ。その後も給料六掛けの一年契約でなんとか六十五歳までは勤めないと暮らしがたたない。それでも世代も出身も仕事も様々に違う歩く仲間ができたのは私の自慢だ。ちょうど縄田屋の腹の辺りが見えているので、「歩いているお蔭で体脂肪率十三・五パーセント」と私は嘘を吐く。実際は十五・二パーセントである。
 大内は去年の十一月に続いて四月にもここでシャンソンの会を開く。「是非お出でください。まだ席に余裕がありますから。」大内主催の「あの街角でシャンソンを歌う会」だ。「カタカナでマコト。これが芸名です。」「戸籍も変えたんだが。」まさかそこまではしないだろうね。よっぽど暇なひとは「大内マコト」を検索すればユーチューブで彼の歌を聴くことが出来る。「普段、仕事は何やってるんだ。」「普通の会社員だよ。」「遊んでるんだべ。」
 途中で山岡雄平先生の訃報記事が武田から回されてきた。十八日のご逝去、葬儀は昨日二十二日に済んでいた。八十歳。みんなが「熱血だったよな」と一致して言う。私は、古文の現代語釈で、感に堪えたように「そうであったことよのう」と言う独特な言い回しを覚えている。記録をみると、関東横の会第五回(一九九六年二月)に出席してもらっていた。ご冥福を祈りたい。八十と言えば私たちの親の世代の下限になるだろう。既に親に死に別れ、あるいは介護で苦労しているひともいる。
 二瓶と隣り合わせで座っていると、何年か前に一緒に幹事をやった那波直樹のことを言い出した。「突然だったよね、年賀状貰ったばっかりだったのに。」去年のことだった。山瀬は通夜に出た。告別式には北海道の佐々木均と西村徹郎が参列した。可哀想な那波。そのほかにも横の会の仲間で、人生六十年の区切りも待たずに鬼籍に入ったひとたちがいる。私たちは時々思い出すことしか出来ないが、その全ての冥福を祈る。
 料理もほぼ食べ終わった頃、大内がマイクを握って前に出てきた。ところが『枯葉』は折角用意したカラオケのキーが合わない。「俺が合わせるか」と田原がクラリネットで、「なんとかマイナーだな」と合わせてみる。しかしそれにもなかなかペースが合わず、結局アカペラになってしまった。そもそも田原のクラリネットも伴奏と言うよりはソロの雰囲気だった。「やっぱりピアノでねば、ダメなんだべな。」「クラリネットはこのために持って来たんだか。」「なも、午前中に練習あったから。」
 結局オンステージは余り成功とは言えず、二時になってしまった。

 いよいよ船に乗る。残念なことに天野はこの後相撲観戦の予定があって、ここで別れて行った。(そのために、後で撮った全員集合写真には入っていない。)
 「東京湾の貴婦人」レディクリスタルは全長四十六・五メートル、全幅八・八メートル、総トン数三百四十六トン。小さいが内装は豪華だ。精一杯のサービスをしてくれたタイラ社長のために、その惹句を引いておこう。

 スタイリッシュなデザインはイタリア人客船デザイナーのGarroni氏、小ぶりな船体ながらClassyな船内は特別なGuest Room、Party Roomです。
 東京湾を回遊しながら、船内でフランス料理やお飲み物が楽しめるクルージングシップ。
 ニースやモナコで見かけるようなParty Yacht ”LADY CRYSTAL” が東京湾へとご案内します。

 船内に入って二階展望ダイニングに上がれば飲み物が用意されており、ゆったりしたソファに腰を下ろすことが出来る。窓は広くてどこを見ても海が広がる。私たちのほかには赤ん坊を抱いた若い夫婦がいるだけで、ほとんど貸切状態に近い。こうしたものの相場を知らないが、これで八千円会費というのは実に安いのではあるまいか。
 屋上のデッキに出るとやはり海風は冷たい。「あの橋、なんだったっけ。」レインボウ・ブリッジだ。お台場。初めて見る船上からの東京湾風景はなかなか良い。しかしデッキでタバコを吸ってはいけない。ちゃんと船内に喫煙コーナーがある。
 二階ならそれほど風も強くなさそうで、係員に頼んで集合写真を撮って貰った。ところでクリスタルヨットクラブの女性社員は、全員美人である。タイラが採用しているからかしら。
 およそ一時間のクルージングはあっという間に終わった。

 二次会は品川駅東口のビッグ・エコーだ。幹事長は手際が良くて早々と予約していた。中泉は普段やっているという社員教育の講師だけでなく、幹事長に一番向いている。
 タクシーに分乗して向かうことになり、縄田屋、樋口、山瀬、私が最初の車に乗った。ところが女性運転手は「この辺よく知らないんですよ」と怪しいことを口走る。この道はさっき通ったところではないか。「ほかの車は見えませんか。」それについて行きたいと言うことか。どうも心許ないが、それでもどうにか品川駅に着いた。
 しかしビッグエコーはどこにあるのだろう。「ここは東口じゃないんじゃないの。」「交番で訊くべ。」その交番に「南口」の看板が掲げられているのが不思議だ。運転手には確かに「東口」と言った筈だったが。しかし交番に訊くより先に縄田屋が看板を発見した。店の前で中泉や田原が待っている。もうとっくに全員が到着していたのだ。「遅がったねが。一番先に乗ったんだべ。」私たちの車はかなり遠回りしたらしい。料金もほかに比べて高かったようで、悔しいことである。
 席に着くなり「俺は大内より上手いと思う」と自分で断言する縄田屋が一番にマイクを握った。典型的なオジサン・サラリーマンの声と歌だ。
 福士は終始ニコニコしながら静かに丁寧に歌う。渡部が北島三郎を歌うのでみんなが驚いた。どうもイメージが違ってしまった。健は『東京の花売り娘』なんか歌う。実に古いですね。しかしこれならば私は二番を歌わなければならない。佐藤健、渡部淳はコーラスで鍛えているらしい、正統的な歌い方をする。
 『星降る街角』につける宇佐美のヤラシイ掛け声は、何度聞いてもおかしい。タイラの歌う『黄昏のビギン』(永六輔作詞、中村八大作曲)は名曲です。もともとは水原弘の歌だが、私は水原の歌は知らずにちあきなおみで知った。一年前からちあきなおみに取り憑かれている私は、ちあきなおみ(元は小畑実)で覚えた『星影の小経』を歌う。
 「考えてみれば、プロの歌を只で聴けるんだものな」と五十嵐が感心したように大内を見ている。なに、彼は機会さえあればどこでも歌いたいのです。二瓶は宇佐美に無理矢理(?)誘われてダンスをする。
 私は誰かが歌い始めるとマイクを奪って二番を歌ってしまうものだから、かなり顰蹙を買った。「なんでも歌うんだな。」古い歌なら大抵のものは歌う。そのかわり昭和四十五六年を境に、その後の歌はほとんど知らない。「上手いもんだ。」エッヘン。イガラシクン、実は大内を除けば一番上手いのは、縄田屋ではなく私です。こういうことを言っているから私はどこでも嫌われる。「仕事の選択を間違えたんじゃないか」と渡部が笑う。それにしてもみんな良く歌う。二瓶が二三曲続けて歌ったあと、最後は校歌一番を歌ってお開きになった。
 私はどこかで帽子をなくしてしまって、電車を降りてからは頭が寒くて仕方がなかった。鼻水が止まらない。ところが帰宅してバッグの中身をぶちまけると、毛糸の帽子は一番下に小さく丸まっていた。
眞人


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